わたしと柔らかいランドスケープ

わたしは看護職や心理師というこれまでのバックラウンド以外にも、ランドケープという意外なことも実は通信制大学で勉強したことがある。そこを卒業したのがつい1年前のこと。そして、その後すぐにいまの博士課程に入学した流れ。

一見、意外に見えるかもしれないけれど、当の本人は全然そんなことはなくて。ぜんぶ、大事なひとつのながりになっている。

というと、かっこいい感じでもあるけれど、それだけではないというのが、ほんと私らしいと思う。いつもどこか、抜けやオチがある。

ある博士課程受験に落ちてしまって落ち込みつつ、どうしようかなあ、と考えていた時期がある。あるとき吹っ切れて、以前から気になっていたランドスケープをまずやってみて、その後にまた次のことを考えよう!という決意をした。

ただ、ちょっとルートを変えただけ、という気持ち。
だけど、最終的にあれから数年を経た現在。

修士修了して、学部の通信課程に編入するといった回り道はぜんぜん、想定していなかったのだけど、(自分の中では苦肉の策で)。結果としてあのとき、回り道をしたからこそ、いまの研究につながっている。
そんなふうにこころから思っている。

目標は、生態系のことを自分なりの伝え方で表現できるようになること。その表現方法を身につけること。これにつきた。


通信教育のランドスケープに3年次編入して、多くの方がそうだと思うけど、フルタイムで働く中で、何かと時間がキビシイ中どうにかこうにか2年で卒業できた。そもそも、地図や立体の把握めっぽうが弱いわたしが、図面という頭の中で空間と立体をイメージしなければならない作業は、果てしなく適性がない気がしたものだった。💦(いまもそうだけれど、いまは得意な部分に注力すればいいことに気が付く)

CADというのも、まったく理解できず、何度聞いてもその日のスクーリングで完成させる線や丸などで描く(たぶんすごく、初歩でかんたんな)図面ができなくて、居残りで先生に同じところを何度も教えてもらうという、多分前代未聞な状況になっていたかもしれない。翌日その図面をもとに、制作するものがあるので完成させておく必要があったのだ。

いたって冷静に「じゃあ、もう一回やりましょう」と、何度もおなじことを繰り返してくださった先生に、いまとなっては感謝しかない。

そもそも苦手なのに、たまたまこの時に限って、忙しさで疲れていたこともあって、オンラインで参加していたのがますますダークだったと思う。

はじめてつくった小さな模型も、それはそれは・・・のものだった。まわりの人たちの才能に押されて、あまりの不器用さに・・・あーあ、、、と思い知る。そもそも材料をカッターでまっすぐに切ることが出来なかった。これは最後までだけど。「カッターの持ち方や、刃の折り方を教えてほしいんですけど」とスクーリング中に回ってきた先生に聞いたときは、一瞬すべての時間がとまっておられるようにみえた。

通信制のランドスケープと言っても、大学の単位は通学の単位と全く同じ。なので、そうそう甘くもない。レポートもないわけではないけど、それは慣れているので心理的な圧はほとんどない。圧も量も圧倒的に多いのが、作品という課題提出だった。それもだんだんと大物になってくる。

深夜のいろんな課題たち

入ってすぐ、スケッチ50枚という課題に、遠い目になる。そもそも絵って描いたことないではないか。

それでも何が何でも、という目標があったので、最後の方は1日10枚描いたときもあった。これは、スクーリングで一緒になった方に話すと「えーっ」と引かれてしまった・・・しかもわたしは何気に凝り性で、やりはじめるとできるだけよいものを描きたい。など、無謀なことを思ってしまうタイプ。

ある休日は追い詰められて、自分の中の提出期限に間に合わせるために、早朝から真夜中までずーっとちいさなスケッチブックに描き続けた。1日〇枚描く。と決めてラストスパートの頃は、職場の昼休みにも1枚描いたりしていた。そうこうしているうちに、何とかかろうじて、いいなーと思うお手本や写真があればそれをもとに、ちょこちょこ、それらしきささっとイラストを描けるようになってくる。

だけど、このときはやるしかないのでやっていたこともあって、卒業後1年間。イラスト描こうかな、と思って描いたのは唯一七夕のときの短冊イラスト1回だけ。やってみたいのだけど、そのためにはこころのゆとり問題だと思う。ペンはあの時たくさん買ったから使いたいのだけど。

植物集みたいなものもつくったし、とかくいつもスケッチ的なものはずいぶん多かった。芸術系の大学だから、ということでパースやスケッチでの表現を大切にしているとのことだった。

そしてだんだん図面も模型もスケッチも、規模がダイナミックになっていって、個人宅の庭が里山ぐらしや広場になり、大きな公園になったり、最後には確か一角の街づくりになった。

平面図、立面図、計画のプレゼン、それぞれのイメージスケッチ数枚、完成模型。これで1セットの作品となる。どんなに苦手な人でも、これを小さなものから大きなものまで苦戦して重ねて行くうちに、どうやら最終的に、卒業制作までなんとかできるようになっていた。

それと同時に次の博士課程を考えていて、なにがなんでも2年で卒業しようと思っていたわたしは、この2年間はいつどんな時でも、絶えず「GWは、お盆休みは、3連休は、お正月は・・・何が何でもあの作品課題を仕上げて提出するんだ」という、何が何でも状態に終始お付き合いした期間だった。

その他にも、月に1-2回ある、土日連続スクーリングに出るための事前課題というのもあり、それもいつもプレッシャーが大きかった。やりたくないのではなく、ほんとう何度か説明を読んでも、やり方がよくわからない、どうすればいいんだろう?というところから始まるものも多かったのだった。。。

土日連続スクーリングでも、ひとつの作品を仕上げて発表し、好評までうける。なのでおおわらわ。頭でイメージを立体化できず、立図面は本当になかなか書けない。かつ手が遅いわたしはいつもゆとり、ぜんぜんなし!周囲の人たちのものをみたり、周囲や先生に教えてもらってどうにか、どうにか時間ギリギリになんとかかんとかの滑り込みパターン。

2年目は並行して卒業制作

最後の卒業制作は、とにかくちいさな身近なところからつながる生態系のことを表現したかった。手を動かす方面はほんとテクニックがないので、苦戦したものの、ラストスパートまで粘り、その時の自分がこれ以上はきっとできないだろう。という作品が出来たように思っている。

苦手なCADも、何回かマンツーマンで習いに行ったし、図面も最終的にあやしいところは先生に調整を手助けいただいてなんとかなった。なんとか粘ったし粘りたかった。

これが大事だと思っている。その時の自分のベストだと自分で感じきれるもの。誰とも比べない。唯一の評価軸はただ、自分のベストかどうかという基準のみ。

先生がこんなことを言われていて、共感したこと。
「今の自分を、あと一歩超えようとして制作に向き合う。それだけが成長につなげてくれる」

それは、達成できたと思っている。達成できたかどうかは、きっと自分にしかわからないのかもしれない。

それでも、思えばぎりぎりの中で「できるだけいいものをつくりたい」というもう、執念と言ってもいいくらいのきもち。

このきもちの源泉はどこにあるのかな、っていうと、やはり「生態系のこと」「それにまつわる、多様ないのちの営みのこと」「それって、人もみんなしあわせにいきるのに大事なことなんだ」っていうのを、もっとも自分をいかせる表現で伝えたいという、強く静かな渦が源になっている。ということはわかる。

わたしは卒業制作の模型を作るとき、自分なりにとても真摯な気持ちで向き合った。模型を作るとき、A1サイズのスチレンペーパーという、薄い発泡スチロールのような材料を、何十枚も図面の地形に合わせて切った。要は、これで地形の高さを出していくのだ。

その時、なぜか切初めに「一刀入魂」という気持ちで、すべてのスチレンペーパーにカッターを入れていったのだった。一本一本の樹々も、深しんと深まる真夜中まで、YouTubeで好きな曲をエンドレスで聞きながら、ひたすらコツコツと静かに作っていった。

作品と一体化してる

この時つくったランドスケープの卒業制作は「わたしはこういうものです」ということを表しているような気がしている。この制作の概念みたいなものを、博士課程の研究につなげるのだ。という意思が一直線につながっていた。

ときどき、自分のできなさとか、もっとこうしたいのになあ、と思いながらも表現テクニックがなにせ少ない中での品出しなので、その中でなんとかいいものを、と絶えず考えながら手を動かした。

テクニックは確かに浅いと思う。それでも、そんなふうに自分自身が思えるということが、何よりも大事なんだと思っている。

やわらかいランドスケープ、という表現が合っているように思った。

かっちりしていない。これはいのちのゆらぎのように、工夫によっていろんなやり方の余地がありますよ。という意味もあると思う。

よかったら、卒業制作はこちらです^-^

https://www.kyoto-art.ac.jp/t/graduationworks/detail/11070

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